ダメケル

三十代フリーターの日記

バットマン・リターンズ

小学生のときテレビで「バットマン・リターンズ」をやるから録画しようとしたら、野球中継が延長になって上手く撮れなかったという思い出がある。この一件から僕は野球が大嫌いになった。

 

ゴッサム・シティに跳梁跋扈するサーカスギャング団。畸形ゆえ捨てられた過去を持つ首魁ペンギンは、表の世界に乗り出すべく自作自演や狂言などで自らの商品価値を高めていく。それに協力するのは、野心溢れる実業家マックス・シュレック。彼は発電所に細工をし、市の生命線を握ろうとしていた。


そんな計画に気付いた内気な秘書セリーナをシュレックは口を封じるためにビルから突き落とす。猫の魔力で甦った彼女はキャットウーマンとして街に繰り出すようになる。ペンギンの企み、シュレックの野望を阻止する為に、そしてセリーナに惹かれながらキャットウーマンと争うべくバットマンは今宵も闇を走る。


クリスマスを舞台に怪人たちのサーカスは幕を開けた。

 バットマン リターンズ - Wikipedia

 

二十年ぶりくらいに本作を見返す。なんて悲しい映画なんだと思った。ペンギンもさることながら、キャットウーマンの悲劇が見ていて辛くなる。


人生が上手くいっていないセリーナ・カイル。夜遅く帰宅して「ただいま、あっ私独身だった」と淋しげに呟く。留守電には過保護な母親や別れを告げるボーイフレンドらしき人物、そして仕事の伝言。慌てて会社に戻るが、そこで偶然発見した秘密のせいで上司にビルから突き落とされる。ところが猫の魔力で蘇り、キャットウーマンになる。


留守電を叩き壊すときの顔が凄まじくも切ない。ピンク色の壁紙や可愛いお人形の家を黒いスプレーで塗りつぶしていく。社会から押し付けられた女性性をぶっ壊して、新しい存在になろうとする。

 

この映画にはペンギン、バットマンキャットウーマンと三人の異端者が出てくるが、キャットウーマンだけが「普通」に近い。ペンギンは奇形を理由に両親から捨てられたが「おれは生まれ持っての鳥人間だ」と自分で言うほど一種のプライドを持っている。バットマンことブルース・ウェインは男性で強いし超スーパー金持ちという役満みたいな社会的なステータスがある。キャットウーマンは高い身体能力はあるが、手持ちのレザージャケットをミシンで縫ってコスチュームを作っている独身女性に過ぎない。

 

秘密基地のバットケイブでズラリと並んだスーツやブーツを選ぶブルースと小さな車の中で運転しながら着替えるセリーナという変身の対比シーンがある。二人は似たような闇を抱えていながら、決して交わることのない人間であることを表しているように思える。

 

セリーナは終始不安定だ。キャットウーマンになっても、宙ぶらりのまま。悪に染まることもできず、バットマンとも添い遂げることもできない。人間という枠からはみ出したはいいが、結果として野良猫のように一人で生きていくことになる。

 

自分らしく生きるというのは耳障りのいい言葉だが、その「自分」が社会から受け入れられるかは限らない。社会なんて気にせずに自分を貫ける者がいれば、自分の力で社会を変えられる者もいる。だが、みんながそんな強さを持っていない。多くは自分を隠して社会に合わせて生きるか、ひっそりと孤独に生きるという二択になるのではないだろうか。