ダメケル

三十歳ニートの日記

愚痴

前に感想を書いた『自衛隊メンタル教官が教える 心の疲れを取る技術』に面白いことが書かれている。
 
自衛隊のレンジャー訓練などでも、厳しい訓練に対して一言も弱音を吐かない、弱いところを見せない隊員は、気をつけなければならない。急に折れてしまうからだ。
一方、始めからぐちぐち不平を言っている隊員のほうが、結局最後まで残り、任務を果たしていったりする。

 

 この部分はネットでもよく紹介されている。黙々とやっている人はストイックでメンタルが強いイメージだったから印象的な文章だ。
 
職場や友人との呑みの席では会話の七割が愚痴である。「上司がー」「仕事がー」「同僚がー」「取引先がー」と。僕はそういうのを聞くのはそんなに嫌いではない。人間っぽいなーと面白く感じる。とくに話術のある人の愚痴は落語みたいに楽しい。逆にヘタな人の愚痴を聞かされるのはウンザリするけど。
 
ちなみに僕はあまり愚痴を言わない。最近まで文句を言うくらいなら直接色々やって解決しろよと思っていた。ところが社会というのは何事も自分の思い通りにはいかない。黒白はっきりつくことなんて滅多にない。グレーな部分を曖昧にやり過ごしていくのだから、愚痴の一つでも言って発散していくしかないのだ。そんな当たり前のことも気づけなかった。
 
愚痴らない理由は他にもある。自己肯定感だ。
 
僕は何事にも動じない強い人間というわけでもないし、何事も許せてしまう清らかな人間でもない。人並みに腹が立つし、ストレスも貯まる。でも自己肯定感が低いので愚痴ることができない。
 
例えば何か自分に悪いことが起こる。自己肯定感のある人は「◯◯が悪い。俺のせいじゃない」と思って、それを愚痴として発散していく。けど、自己肯定感のない人は「自分に原因がある。次から気をつけよう」と感じる。これは良いように見えるが、実際はストレスを溜め込んでいるにすぎない。まぁ、本当に徳の高い人間ならばそういう風に考えても問題はないが、凡人がこの思考を持つのはとても危険だ。
 
あと喋るのが苦手というのがある。人に話を聴いてもらっているときに、伝わってるのか、変に思われてないか、つまらないと思われてないかと次々に不安になってしまう。だから、途中で話を変な方向へ持っていったり、急に終わらせたりする。それに愚痴って弱みでもあるから、そういうなものを他人に見せるのは良くないんじゃないかと思ってしまう自分がいる。
 
だからこのブログではどんどん愚痴りたいと思う。文章にまとめることで頭をスッキリもできるし、友達がいなくても発散できる。お金もかからない。