ダメケル

三十代フリーターの日記

犬が死んだ。

 犬が死んだ。15歳だった。

 もともとは祖母が飼っていた犬だ。経緯はよくわからないが、ひとり暮らしで寂しいだろうということで犬を貰ったそうだ。始めて僕がその犬と会ったときは、まだ子犬だった。嬉ションしたのが印象に残っている。

 祖母は七十を過ぎており、当然ながら犬が大きくなると飼うことができなくなった。うちに着たのは僕が二十歳の頃だったと思う。当時はまだ大学生だった。そのときのことはよく覚えていないが、家族で当番で散歩することになったのが面倒だなと思っていた。 その後、社会で挫折した僕は犬の散歩をする代わりに引きこもることを許された。

 毎日、朝夕の二回。10分〜15分くらい歩いた。春夏秋冬。散歩コースをいくつか用意して、そのときの気分で変えた。回数を考えると数千回を越えている。色々なことがあった。首輪がすっぽ抜けて慌てて追いかけたこと。他の犬に追いかけ回されたこと。落ちているものを食べて急いで吐き出さそうとしたこと。

 いつもぐいぐいと引っ張って、どれだけ教えても、僕よりも先を歩いていた。 大きな病気をすることもなく、シニア期になっても元気だった。たまに調子を崩すことがあっても、必ず元気になっていた。

 様子が変わったのは数ヶ月前。どんどん痩せ始め、冬毛の生え変わりも毎年と違う感じで、なんかおかしかった。ただ、食欲はあるし、散歩もいつもと同じようにグイグイと歩いていくから、大丈夫だろうと思っていた。 ただ、今年になってからオシッコを漏らすようになり、夜鳴きをするようになって、狭いところに入っては戻れなくなって唸ることが増えた。獣医に見せたが、やはり認知症らしい。他にも色々と身体に悪いところはあるが、年齢を考えると検査すること自体ストレスになるからあまりオススメしないと言われた。 とりあえず、夜鳴き対策でリラックス効果のあるサプリを処方してもらい、しばらく様子を見ることになった。日中、しっかり運動すると夜寝るようになると聞いたので、散歩の時間を増やそうと思った。ただ、もうこのときには引っ張るどころか歩くのもやっとという感じで、立ち止まることも増えた。だから、時々抱き抱えながら、いつものコースを巡った。痩せているが犬はずっしりと重かった。

 しばらくはこんな感じが続くのかなと思っていた。インスタで車椅子で散歩している犬を見たことがあったので、そういう準備をしないといけないかもと考えていた。 しかし、散歩しても、サプリを与えても、夜鳴きはおさまることなくて、家族が満足に寝ることができなくなっていた。近所迷惑も考えると、安楽死という選択も視野に入れないといけなくなっていた。

 そのうちに満足に立ち上がることもできなくなる。一日つきっきりのときもあった。目が白く濁っていて、もう僕のことが見えてないんじゃないかと思った。

 そして、死んだ。

 そのとき僕は看取ることができなかった。家族もいないときにひっそりと息を引き取ったらしい。動物は死ぬところを見せないというが、本当だったようだ。 とてもショックだった。長くないにしてもまだもう少し生きると思っていた。満足に動けなくても、ご飯は食べたし、排泄もなんとかできていた。でも、やはりもう限界だったのだろう。

 触ると固く冷たかった。死の感触がした。見開いた目は真っ黒だった。人と同じようにするべきか分からなかったが、目は閉じてあげた。

 ペットの火葬業者に引き取ってもらう。火葬して骨は後日持ってきてくれるそうだ。

 ポッカリと心に空いたまま、犬関連の道具を整理する。

 数日後、骨壷に収まって帰ってきた。

 数日間は悲しくて仕方がなかった。それでも腹が減るし、イライラもしてしまうし、人目も気になる。ああ、これが生きてるってことなんだなと感じた。心の表面はいつもと同じように動いているが、奥底は深くて暗い気持ちが横たわっている。

 だんだんと落ち着いてきているが、この気持ちを忘れてしまうのはイヤだった。人間は忘れることができるし、それは前に進むために必要なことなんだけど、あの感触や匂いが頭の中から消えてしまうのはイヤだった。 だから、こうやって文章にして感情をせめて形として残しておく。読み返したときにあのときの気持ちを思い出すために。